001_17_新しい店で(2)

店内は、まだ馴染まないままだった。

照明の落とし方。音の流れ。客の視線の置き方。
「Shangri-la」とは、違う。

理沙はフロアを歩きながら、指示を待っていた。

ベテランの横につき、グラスを下げ、空いた席を整える。
動きは覚えた。
だが、居場所はまだない。
名前を呼ばれることは、ほとんどなかった。

その日も、同じように時間が流れていた。

「理沙、指名」

不意に声がかかる。
理沙は一瞬だけ動きを止めた。

「……はい」

短く返す。
胸の奥が、わずかに動く。
席へ向かう。

テーブルの手前で、足が少しだけ緩む。
そこにいたのは、見覚えのある顔だった。

「久しぶり」

若い社長が、軽く手を上げる。

「……お久しぶりです」

理沙は座りながら、目を伏せた。
声はいつも通りだった。
だが、息が少しだけ浅くなる。

「探したよ」

「急にいなくなるから」

責める調子ではなかった。ただの事実のように言う。
理沙は、小さく笑った。

「店が、なくなって」

それだけ言う。
そこから先は、止まらなかった。

言葉が続く。

閉店のこと。その後のこと。移った先のこと。
整えて話しているつもりだった。
だが、ところどころで崩れる。

グラスに触れる指先が、わずかに遅れる。

社長は黙って聞いていた。

途中で口を挟まない。ただ、うなずく。
それだけだった。

話が一度切れる。
理沙は、グラスに口をつけた。

少しだけ深く息を吸う。

「呼ぶ?」

社長が、視線を横に向ける。
少し離れた席に、彩名がいた。

客と話している。
理沙は一瞬だけ迷ってから、うなずいた。
彩名が席に来る。表情は変わらない。

「お久しぶりです」

短く言う。
社長が笑う。

「2人とも、揃ったね」

3人での会話が始まる。

空気は、柔らかかった。
以前と同じようで、少し違う。
彩名の言葉は、必要な分だけだった。

間を埋めない。深くも入らない。
理沙は、その隣で言葉を選ぶ。

噛み合っている。
だが、同じではない。

しばらくして、社長が言った。

「歌、聴きたいな」

理沙が顔を上げる。

「Vanishing」

その名前が、出る。

理沙は少しだけ黙った。
ここでは、歌うキャストは多くない。
自分から出ることも、なかった。

浮くかもしれない。一瞬だけ、そう考える。
そのままにしておくこともできた。

だが、理沙はうなずいた。

「……じゃあ、一曲だけ」

立ち上がる。
彩名は何も言わない。
ただ、視線だけが一度向く。

理沙はその視線を受けて、外す。

ステージへ向かう。
照明が少しだけ明るくなる。

マイクを手に取る。位置を確かめる。
音が入る。
イントロが流れる。

理沙は、目を閉じなかった。

前を見たまま、声を出す。

久しぶりだった。
だが、体は覚えている。
音に乗る。
言葉が続く。

フロアの空気が、わずかに変わる。

視線が集まる。
その中に、入口の動きがあった。

扉が開く。

新しい客が入ってくる。
理沙は、歌いながらそちらを見る。
足が止まる。

一瞬だけ、声が揺れる。
すぐに戻す。視線を外さない。

そこにいたのは、湯浅だった。
何も言わない。ただ、立っている。

理沙は、そのまま歌い続けた。



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