ステージを降りて席に戻ると、黒服がすぐに近づいてきた。
「テーブル、移動お願いします」
短く言う。
理沙はうなずいた。
「どちらですか」
黒服が視線で示す。
入口側の席。
湯浅が座っている。
理沙は一瞬だけ、言葉を選ばなかった。
「……分かりました」
若社長の席に向き直る。
「すみません、少し外します」
社長は軽く手を振った。
「大丈夫」
理沙は立ち上がる。
その前に、彩名の方へ近づいた。客の横に立つ。
自然な動きで、声を落とす。
「湯浅、来てる」
彩名の視線が、わずかに動く。
驚きが一瞬だけ浮かぶ。
すぐに消える。
「……そう」
それだけ言う。
理沙はそれ以上何も言わず、席を離れた。
湯浅のテーブルへ向かう。
途中で、彩名も動いた。
客に一言添えて、席を外す。
湯浅の前に立つ。
「久しぶり」
短く言う。
湯浅が顔を上げる。
「ああ」
それだけ返す。
2人の間に、短い間がある。
「元気そうで」
彩名が言う。
「まあね」
それで会話は終わる。彩名は深く入らない。
それ以上の言葉も、置かない。
理沙に一度だけ視線を向ける。
何も言わない。
そのまま席を離れた。
残されたのは、2人だけだった。
理沙は向かいに座る。
グラスが運ばれてくる。氷が触れる音がする。
「……歌、久しぶりに聴いた」
湯浅が言う。
「そう」
理沙は短く返す。
それ以上、続かない。少しだけ沈黙が続く。
「店、どう?」
湯浅が聞く。
理沙はグラスに触れたまま答える。
「まだ、慣れてない」
「前と違うし」
「うん」
湯浅がうなずく。
それだけだった。話題が、広がらない。
装飾のこと。酒の種類。客層の違い。
言葉は出る。
だが、どれも浅い。
どこにも触れていない。
理沙は、それを自覚していた。
埋めようとはしなかった。
湯浅も、同じだった。
「Vanishing」
湯浅が、少し遅れて言う。
理沙が顔を上げる。
「……良かった」
それだけだった。
評価でも、感想でもない。ただ、事実のように置かれる。
理沙は、うなずいた。
それ以上は聞かない。
時間が過ぎる。
一時間ほど。
同じような会話が続く。
途切れないが、深くもならない。
「また、行くよ」
湯浅が言う。
「白河」
理沙は少しだけ間を置いて、うなずく。
「うん」
それで決まる。
約束というほどのものではない。ただ、次があるという確認。
2人は席を立つ。
別々の方向へ歩く。
振り返らない。
理沙はフロアに戻る。
音と光の中に戻る。
さっきまでの高揚は、残っていなかった。
どこに消えたのかは、分からなかった。
ただ、戻らなかった。
|