彩名が来てから、一年が過ぎていた。
季節が一度巡り、部屋の空気も、変わっているはずだった。
だが、生活の形は大きくは変わらなかった。
同じ時間に出て、
同じ時間に戻る。
必要な会話だけを交わし、それぞれの時間を過ごす。
それが続いていた。
ある日、彩名が言った。
「部屋、決まった」
短い言葉だった。
理沙はうなずいた。
「そっか」
それだけ返す。
理由も、経緯も聞かない。聞く必要もなかった。
出ていくことは、最初から決まっていた。
それが、少し遅れただけだった。
引っ越しの前日。
部屋の中は、ほとんど空になっていた。
スーツケースと段ボールが、いくつか残っているだけ。
生活の跡が、薄くなっている。
テーブルの上に、酒を並べる。簡単なつまみを用意する。
特別なことはしない。
いつもより、少しだけ多い。
それで十分だった。
「一応、お祝いってことで」
理沙が言う。
彩名は笑った。
「ありがとう」
グラスを合わせる。軽い音が鳴る。
そのまま、飲む。
最初は、何も変わらない会話だった。
店のこと。客のこと。引っ越し先の話。
どれも、短く終わる。
間が続く。
酒が進む。
部屋は静かだった。
彩名が、ふと口を開いた。
「この前さ」
理沙は顔を上げる。
「オーナーに会った」
一瞬だけ、間ができる。
理沙は何も言わない。
続きを待つ。
「久しぶりに」
彩名はグラスを回す。中の液体が揺れる。
「いろいろ聞いたよ」
そこで、少しだけ口元が動く。
笑っているように見えた。
温度は、読めなかった。
理沙は、視線を外さなかった。
「……あの2人は?」
言葉を選ばなかった。
阿久津と、恵梨香。
名前は出さない。それで通じる。
彩名は一度だけ、目を伏せた。
すぐに上げる。
「消されたよ」
それだけだった。
説明はなかった。補足もなかった。
理沙は、何も返さなかった。
返す言葉がなかった。
意味を考える前に、言葉だけが残る。
消された。
そのまま、空気が止まる。
時計の音だけが、わずかに聞こえる。
彩名は、何も言い足さない。
グラスを持ち上げる。
口に運ぶ。
いつもと同じ動きだった。
その夜は、それ以上その話には触れなかった。
酒が空く。
片付ける。
灯りを落とす。
それで終わった。
翌朝。
荷物はすぐに運び出された。部屋は、ほとんど何も残らない。
玄関で、彩名が振り返る。
「お世話になりました」
短く言う。理沙はうなずいた。
「うん」
それだけ返す。
彩名は笑った。軽い表情だった。迷いは見えない。
そのまま、外に出る。
扉が閉まる。
音が残る。静かになる。
理沙は、その場に立ったまま、しばらく動かなかった。
さっきの笑顔を思い出す。
吹っ切れたようにも見える。
だが、どこか軽い。重さが、ない。
理由は分からなかった。
ただ、そう見えた。
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