数日後、理沙は「白河」に来ていた。
扉を開けると、いつもの空気がある。音も、匂いも、変わらない。
カウンターに座る。言葉は交わさない。
グラスが置かれる。
一口だけ飲んでから、バッグに手を入れる。
折りたたんだ紙を取り出す。カウンターの上に置く。
「……これ」
湯浅が手を止める。紙に視線を落とす。
開く。
理沙は、特に何も言わない。少し間があってから、口を開く。
「タイトル、“西日が差している”」
説明する調子だった。感情は乗せない。
湯浅は紙を見たまま、聞いている。
「ある人がいて」
理沙は続ける。
「ずっと、言えなくて」
「言おうと思っても、そのままになって」
言葉は整っている。選ばれている。
だが、強さはない。
「気づいたら、時間だけ過ぎてて」
グラスの中で、氷が小さく鳴る。
「ある日、いなくなる」
理沙はそこで一度言葉を切る。
視線は、紙の上に落ちたままだった。
「そのあとで、やっと分かる」
短く言う。
「言っておけばよかったって」
それ以上は続けなかった。
湯浅が、紙から顔を上げる。
理沙を見る。
何も言わない。理沙も、視線を上げない。
少しだけ間がある。
「女の人の視点で書いてる」
理沙が付け足す。
事務的だった。
「そのままだと、歌いにくいと思うから」
もう一枚、紙を出す。横に並べる。
「こっちは、男の側に変えてる」
言い回しが少し違うだけだった。構造は同じ。
湯浅は2枚を見比べる。
「どっちでも」
理沙は言う。
「使いやすい方で」
それで終わりだった。
理沙はグラスに手を伸ばす。
一口だけ飲む。味は、さっきと変わらない。
湯浅はまだ紙を見ている。
指で、軽く端を押さえる。視線は動かない。
理沙は、その様子を見ていなかった。
ただ、グラスの中を見ていた。
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